大きな明るい窓の向こう

1日に入院、2日に手術なんだ、と従姉妹は言った。兄の葬儀の準備の途中。慌ただしいお昼の台所で、ぽつりと。

ずっと以前、自前でホームページを持っていた頃に、コラムでこの従姉妹の父親のことを書いたことがあった。東京で新聞記者を勤め上げ、その間奥さんを亡くし、いまは郷里で晴耕雨読の日々と。この従姉妹はその、つまりワタシの敬愛するオジキの一人娘である。

早くに母を亡くし、父の面倒を看ていたからではないと本人は言うが、彼女が未婚のままだったのはそういう経緯と関係ないわけもない。まして彼女が生まれ育った土地、友人知人と離れて、あの田舎町に移ったことは。

彼女が、慣れない田舎暮らしと老いたオジキに手を焼きながら奮闘していることは見聞きしていた。しかし次第に調子を落としていく自分のアニキのことに気を取られてもいた。

え、こんな寒い台所で仕事してて良いのかよ、と言ってみたが、ううん、この次迷惑かけるのワタシだから、と彼女は洗い物をしながら返事した。嫌な予感の中、意を決して病名をたずねると、ママと同じなんだとだけ言った。

西武線沿いで生活していた彼女、当然クルマの免許も持たない。一方、手術をする医療機関は、何を考えてそんなところに建てたんだという立地。15分歩いて、1時間に1本の電車に40分乗って、バスでさらに30分。そこで2時間待たされて診察やら検査やら、帰りは同じ道を辿ろうとしても、時に雪だ風だと運休の始末。

持たないよ。女房は私の報告を受け憤慨した。

かの医療機関、女房の父親、要するにワタシの義父も少し世話になり、土地カンもある。アニキの四十九日法要で郷里に行きがてら、打ち合わせを繰り返した。

様子を見てとったオジキの弟夫婦、やっぱり要するに私の叔父叔母、も参戦してくれて準備万端。ワタシが介護タクシーよろしく走り回り入院を手伝い、煩いばかりの外野のばあさんどもに逐次連絡、滞りなくコトは進み、予定通り手術は行われた。事前と事後の担当医面談も平穏に済んだ。あとは3週後の組織検査の結果発表待ちだ。良い結果が出ることだけを祈っている。

手術の間、私は院内のカフェの大きな明るい窓から外を見ていた。東北新幹線仙台空港発着の航空機が、防音ガラスの窓を行き来する。この医療機関の中で息をひそめて外の世界を見ている人々のことを、たぶん誰も思ってはいるまい。しかし窓の中の普通の風景は、少しだけ心を軽くする。

今度新幹線に乗ったら、この建物を探すんだ。女房がそう言ったので、私は無言で頷いた。